本後町の山車:(茨城県那珂市額田)
本後町の山車は、文久元年(1861年)凡そ160年前に製作されたものと言われていますが定かではありません。
山車の建造に携わった方々は山車の構造、精度そして緻密にして躍動的な彫刻の出来栄えから日光東照宮の創建に関わった大工棟梁、彫刻師等の流れをくむ人たちと推測できる。この考察は上ノ町山車の資料からも裏付けられる。
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山車は檜、杉及び松材による総白木の臍組(組立式)構造であり、檜、松材を用いた透かし彫り、浮き彫りの彫刻をふんだんに用いている。彫刻は山車の装飾ばかりでなく、重要な構造物としての役割を担っており造形的にも、芸術的にも価値が高いものである。山車は、上部の書院付舞台と下部の台車の二重構造となっており、上部の舞台は力学的にも良く考えられ左右自在に簡単に回転できる「回り舞台」となっており職人の優れた技と知恵に感心させられる。台車周りには曲線に木取りされた格子が嵌めこまれ、屋根には複雑な曲線の木取りの垂木が使用されるなど山車全体は優雅な姿になっている。
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