柄目町の山車 ::(茨城県那珂市額田)
柄目町ですが、町名の由来は額田城の搦手門(からめてもん)の位置にあり、そのことから、柄目町と称されています。
※搦手門(からめてもん)とは、大手門に対しての裏門のことを言い、 有事の際には、領主などはここから城外や外郭へ逃げられるようになっている。
柄目町の山車は、明治13年に制作されており、彫刻は後藤梅介です。
柄目町の山車の特徴は多くの彫刻で構成されていることです。正面左右の柱には、白木で上り竜、下り竜が彫刻され山車の回りには干支の十二支が彫刻されています。中央正面の一番高いところに飾られている「でんぎょう」はこの山車の彫刻の特徴であります。この「でんぎょう」には、今から約700年前の南北朝戦争時代、『楠正成』の最後の戦いとなった神戸湊川における楠木親子の『桜井の別れ』の対面の図が彫刻されています。
※上記山車のスライドは、1回だけで停止します。スライド停止後は、サムネイル画像をクリックするとスライドの画像が表示されます。
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