鹿嶋八幡神社 関連年表

建久元年(1190年)頃 文額森戸の地に遮那寺を造営、一宇の塔と五社を造営。(鹿島社・八幡社関連)
※建久:鎌倉時代の1190年から1199年まで、後鳥羽(ごとば)天皇、土御門(つちみかど)天皇の代の元号。 建久3年(1192年) 森戸宝光坊へ手紙を出す。(文覚書簡)(鹿島社・八幡社関連) 建長年間(1245年?1250年)佐竹義繁の次男義直が額田に配置される。この頃、八幡宮が森戸遮那寺より勧請され、蓮蔵院と供に造営される。(八幡社)
※建長 鎌倉時代の1249年から1256年まで、後深草(ごふかくさ)天皇の代の元号。 永享12年(1446年) 観音寺建立、鹿島大明神造営、森戸遮那寺の鹿島社を勧請。(鹿島社)
※永享:室町時代の1429年 から1441年まで、後花園(ごはなぞの)天皇の代の元号。 明応3年(1490年)頃、八幡宮を修造する。蓮蔵院の仕葬順海の発願により大般若経600巻の書写に執りかかる。(大旦那は額田城主三大小野崎善通)(八幡社)
※明応:室町時代(戦国時代) の1492年から1501年まで、後土御門(ごつちみかど)天皇、後柏原(ごかしわばら)天皇の代の元号。 明応7年(1494年)冬の初めの頃、大般若経600巻を八幡宮に納める。(八幡社) 天正14年(1586年)8月 額田城主五代小野崎従通(徳寿軒)が寄進修復造営。(八幡社)
※天正:安土桃山時代の1573年から1592年まで、正親町(おおぎまち)天皇、後陽成(ごようぜい)天皇の代の元号。 寛文3年(1663年)4月9日 「大明神」の社名額が寛文三年四月九日と記されているから、この時に修復。(鹿島社) 寛文3(1663年)9月19日 八幡宮本殿の社名額が」寛文三年九月一九日と記されていることから、この時に八幡宮が修復されたとされる。(八幡社)
※寛文:江戸時代の1661年から1673年まで、後西(ごさい)天皇、霊元(れいげん)天皇の代の元号。 慶安元年(1648年)徳川将軍家光公より鹿嶋宮ご朱印地15石、八幡宮には20石が授けられました。(鹿島社・八幡社)
※江戸時代の1648年から1652年まで、後光明(ごこうみょう)天皇の代の元号。 元禄7年(1694年)水戸光圀公 鹿島明神社と八幡社を合祀し、名称を額田鹿島八幡宮とする。(額田鹿嶋八幡宮)
※元禄:江戸時代の1688年から1704年まで、東山(ひがしやま)天皇の代の元号。 元禄9年(1696年)名称を額田鹿島八幡神社に変更し、社司を白石氏とする。(額田鹿嶋八幡神社) 享保元年(1715年)修復、箕川五郎兵衛正蔵、富岡助佐衛門重時が修復に関わる。(額田鹿嶋八幡神社)
※享保:江戸時代の1716年から1736年まで、中御門(なかみかど)天皇、桜町(さくらまち)天皇の代の元号。 明治元年(1868年)6月 会澤正志斎「額田神宮」扁額を奉納。(額田鹿嶋八幡神社) 明治6年、現在の鹿嶋八幡神社に改名された。(鹿嶋八幡神社)
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