神社所蔵品:徳川光圀 来社時利用食器
徳川光圀公は、額田地域(額田・向山・米崎)を知行していた松平頼元(初代水戸藩主の徳川頼房の四男)と頼貞の親子が額田に陣屋をおいていたことから、水戸と西山荘との往来において額田にも良く訪れていました。光圀公は、元禄7年(1694年)自ら額田にあった鹿島神社と八幡神社を合祀し、鹿島八幡神宮を建立しました。
※元禄9年(1696年)名称改め「額田鹿島八幡神社」、額田村の鎮守となる。社司は、白石氏を置く。
以下の食器は、神社に訪れたおりに光圀公自身が食事に利用したのではないかと言い伝えられている漆塗りの食器です。(現在、調査中)
右は、ご飯用の食器でなないかと考えられているが、大きさとしては現在使用されている丼ぶり碗よりやや大きい、左は、味噌汁用の食器と思われ、現在の丼ぶり碗程の大きさがある。
食器のそとの絵柄には松の枝が描かれ水戸徳川家の葵の紋が描かれている。
【左】 高さ:8cm 口径:14cm 【右】 高さ:11cm 口径:16cm
想像するに、神社建立の折に徳川光圀公によって奉納されたか、又は、水戸と常陸太田の西山荘との往来において、神社に詣で食事をした時に利用したか等が考えられる。
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