神社所蔵品:会沢正志斎による扁額
寛政3年(1791)に「正名論」を著わした水戸学の祖 藤田幽谷(ゆうこく)の弟子、会沢正志斎先生(字は伯民)から額田神社を訪れた折り、光圀の命を重んじて「額田神宮」の扁額を送られた。本額は、現在、拝殿の正面上部に掲げられている。
※会沢正志斎先生
会沢正志斎 1782?1863(天明2?文久3)江戸時代後期の水戸藩士・儒学者。名は安(やすし),字は伯民(はくみん),通称は恒蔵,正志斎は号。10歳のとき藤田幽谷の門に入り,儒学と史学を学び,1799年(寛政11年)彰考館に入り、『大日本史』の編さんにあずかった。1824年(文政7年)大津浜(北茨城市)におこった異人上陸事件に際し筆談役としてイギリス人と接触,危機感を強め,その翌年『新論』を著した。これは幕末尊王攘夷運動に大きな影響を与えた著作として知られている。藩主徳川斉昭公が推進した天保の藩政改革には藤田東湖らとともに尽力,郡奉行・御用調役・彰考館総裁を歴任。また1840年(天保11)には藩校弘道館の初代教授頭取(総裁)となったが,1844年(弘化1)の斉昭の失脚に際し罰せられて職を退いた。のち弘道館教授に復している。安政年間(1854?1860年)の尊攘派の分裂では鎮派に属して活躍した。
※一口メモ 扁額について
扁額(へんがく)は、建物の内外や門・鳥居などの高い位置に掲出される額(がく)、看板であり、書かれている文字はその建物や寺社名であることが多いが、建物にかける創立者の思いなどを記すことがある。扁額は神社、寺院、城門、茶室などの伝統建築のみでなく、学校、体育館、トンネルなどの近代建築においても掲げられる。特に神社に掲げられている額を「神額」、寺社に掲げられている額を「寺額」という。扁額の文字は著名人が揮毫することがあり、扁額そのものが書跡としての文化財の扱いを受けることがある。扁額は奉納したものが掲げられることがあり、特に区別して奉納額ということもあり、本会沢正志斎や次の元内閣総理大臣の田中義一の扁額は、奉納額である。
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