徳川将軍家の家系図(徳川家康・徳川頼宣・徳川頼房)

徳川家康の十男の徳川頼宣は、紀州徳川家の第1代であり、その弟で十一男の徳川頼房が水戸徳川家の第一代となる。

本来、徳川頼宣は、慶長8年(1603年)に、2歳の時に常陸水戸20万石を与えられたが慶長11年(1606年)に駿府50万石に転封され、そのあとの慶長14年(1609年)に徳川頼房が新たに水戸25万石として与えられた。

その後、徳川頼宣は、大坂冬の陣と大坂夏の陣で活躍し、元和5年(1619年)に紀伊国和歌山55万5千石に転封され、紀州徳川家の家祖となった。
額田との関係で徳川頼宣が登場するのは、頼宣が全国の総本社である淡島神社を改築し保護し、その甥である額田藩主第一代の松平頼元が額田に寛文元年(1661年)に淡島神社を寄進造立した由縁による。

第三代将軍家光は、慶安元年(1648年)に額田の鹿嶋宮にご朱印地15石、八幡宮に朱印地20石を与えていることによる。

綱吉は、徳川光圀の隠居時の将軍であり、副将軍として綱吉の後見人でもあり、隠居は綱吉が認めたものである。なお、綱吉は、額田藩の第2代松平頼貞に岩城守山藩の藩主を命じており、これにより水戸藩の支藩であった額田藩は守山藩となり額田の石高は水戸藩に返納され額田藩は消滅することになる。
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