水戸徳川家の家系図(徳川義房・徳川光圀・松平頼元)
水戸徳川家の第一代が徳川頼房であるが、寛文元年(1661年)にその子の光圀がで第二代藩主となる。
また、寛文元年(1661年)に光圀が弟の松平頼元に那珂郡2万石(額田藩)を水戸藩の支藩として与えており、松平頼元が額田藩の第一代となる。
光圀は、元禄7年(1694年)に額田の鹿嶋宮と八幡宮を合祀し鹿嶋八幡宮を建立した。また、系図外の娘を額田の庄屋である鈴木家に嫁に出している。
水戸藩第一代の徳川頼房と額田の関係は定かではないが、水戸藩第2代藩主徳川光圀が水戸家墓地を久慈郡の瑞竜山に定めるにあたり初代藩主徳川頼房の遺志を受け継いだとしている。このことからも頼房は、佐竹の懐柔も兼ねて瑞竜山のある久慈郡にも出入りしていたことがわかる。
当然に、水戸→那珂郡→久慈郡であるから那珂郡の額田にも訪れていたはずである。
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