額田藩(松平頼元・松平頼貞):守山藩の家系図

松平頼元は、第二代藩主光圀の弟であり、寛文元年(1661年)に光圀が水戸の藩主となると同時に兄の光圀から額田2万石を与えられた。
元禄7年(1694年)にその子松平頼貞が額田藩を継承した。

正保13年(1700年)9月に松平頼貞は、第5代将軍徳川綱吉の命により、額田藩から岩城守山藩(現福島県郡山市)の藩主にとりたてられ、同時に額田の石高は、水戸藩に返納された。以後、守山藩は幕末まで継続することになる。

松平頼元に始まる額田藩の系列その後守山藩系列として、頼貞の子の代で5代高松藩主や5代越後高田藩主(旧上杉領地)や常陸府中6代藩主(現:石岡市)を排出している。

幕末においては、徳川斉昭の子(徳川慶喜の弟)である頼之が継いでおり、最後の喜徳は守山の藩主から会津の松平容保の養子となり会津松平家十代当主となっている。
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