徳川光圀公(水戸黄門)について
徳川光圀公は、水戸藩初代藩主徳川頼房の三男で、徳川家康の孫に当たり、常陸国水戸藩の第2代藩主です。 「水戸黄門」としても知られ、諡号は「義公」、字は「子龍」、号は「梅里」です。
※諡号(しごう)は、主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、 生前の事績への評価に基づく名のことです。「諡」の訓読み「おくりな」は「贈り名」を 意味すします。
光圀公は、儒学を奨励し、彰考館を設けて『大日本史』を編纂し、水戸学の基礎をつくりました。
藩主時代には寺社改革や殉死の禁止、快風丸建造による蝦夷地(後の石狩国)の探検などを行いました。
また、後に『大日本史』と呼ばれる修史事業に着手し、古典研究や文化財の保存活動など数々の文化事業を行う他、徳川一門の長老として、将軍綱吉期には幕政にも影響力をふるいました。
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