徳川光圀公(水戸黄門) の寺社改革:鹿嶋八幡神社を鹿嶋神社と八幡神社合祀建立

寛文3年(1663年)、領内の寺社改革に乗り出し、村単位に「開基帳」の作成を命じ、寛文5年(1665年)、寺社奉行2人を任じ、翌年寺社の破却・移転などを断行しました。 開基帳には2377寺が記されていますが、この年処分されたのは1098寺であり、全体の46%に及びます。神社については、社僧を別院に住まわせるなど神仏分離を徹底させました。

国内でも他に類のない鹿嶋神と八幡神の2神の本殿を持つ鹿嶋八幡神社は、元禄7年(1694年)に水戸光圀公により、額田の鹿島明神社と八幡社を統合し、額田鹿島八幡宮として合祀建立されたことに始まります。
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