徳川光圀公(水戸黄門)・水戸藩徳川家・守山藩(福島県郡山市)と額田村
松平 頼元(まつだいら よりもと)は、常陸額田藩の初代藩主。陸奥守山藩水戸松平家初代。 寛永6年(1629年)7月14日、常陸水戸藩の初代藩主・徳川頼房の四男として生まれる。寛文元年(1661年)、兄・光圀から額田領を与えられ、額田藩の初代藩主となった。和歌を好み、歌集「粛山集」を著している。 元禄6年(1693年)4月28日に死去した。享年65。家督は長男の頼貞が継いだ。
水戸藩祖の徳川頼房の四男、徳川光圀の異母弟である松平頼元が、寛文元年(1661年)9月に常陸国額田に2万石を分与されたことから立藩した。守山藩の正式な始まりは、第2代藩主松平頼貞の代である元禄13年(1700年)9月25日、第5代将軍徳川綱吉の命により新知行地として守山2万石を与えられたときである。歴代藩主は江戸小石川の藩邸に定住し、参勤交代を行なうことは無かった。藩政においても水戸藩の監督を受ける立場にあった。
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