鹿嶋八幡神社 Q&A


1、鹿嶋八幡神社(額田神社)は、いつ、誰が建てたのですか?

1、鹿嶋八幡神社(額田神社)は、いつ、誰が建てたのですか?

額田神社は、鹿島宮と八幡宮の2社が奉られています。

①鹿島宮 

806年(大同元年)第51代平城天皇の時代に奉遷され、後に佐竹初代の大将、佐竹 昌義が創建す。

ご祭神 
武甕槌命(たけみかずちのみこと)・・・国家安泰の神


②八幡宮 
1063年(康平6年)源頼義奥州下向時、戦勝祈願
1081年(永保元年)源義家が社殿境内内外を修復
            源氏の大将 源頼義が創建す
      ご祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと)・・・すべての産業繁栄の神

  • 元禄7年(1694年)水戸光圀公(徳川光圀)は、額田の鹿島明神社に八幡社を統合し、額田鹿島八幡宮を合祀建立しました。
  • 元禄9年(1696年)に額田鹿島八幡宮から額田鹿島八幡神社に名称が変更されました。
  • 明治6年(1873年)名称が鹿島八幡神社となりました。

2、なぜ神社をたてたのですか。

神様がお鎮まりになる館(館)が必要。
古くから日本は神の国と言われ(古事記)、古代、人々は山や岩石や海などを神として崇拝。
のちに、社殿(神社)をつくるようになったのです。
武将たちは、戦乱の続く世の中を統一し、日本国の末代までの平安を神に祈願勧請し、各武将の守護神としました。
又、住民も個人の願い事をする場所となりこれは、そのまま額田住民の守り神(氏神様)として崇拝されてきました。

3、なぜ、本殿には奉納の彫り物がついているのですか。

彫り物は、神の象徴と言えるでしょう。
(邪気災厄を払い除き人々が平和に暮らせるよう神様が見守って下さるという神の化身)
奉納について:社殿をつくるとき、彫刻家が奉納をされたと思われます。

4、なぜ、額田神社の土地の中に、たくさんの神社が入っているのですか。

額田神社は、額田地区の氏神様です。この為、地域の皆さんの色々な願いを叶えられるよう数多くの神々が鎮座されております。
末社数23社。主な神々は、下記のとおり。
国家安泰の神、家内安全の神、商売繁盛の神、五穀豊穣の神、文化興隆の神、母子愛の神、交通安全・旅行安全の神、海上安全の神、山の神(樹木を育てる)、学問の神、婦人病の神、裁縫の神、安産の神、子宝の神、縁結びの神、疫病消除の神、身体堅固の神

この他、町内神社や個人の神社も数社奉られています。

5、淡島神社はいつ・誰が・何のために作ったのですか。

創建時期:正保元年・1644年勧請。本宗は、和歌山市加太淡島神社です。
江戸時代、婦人病が流行し、婦人病・子授けの神として有名な淡島神に対する信仰が全国的に広まり、額田神社境内にも淡島神を奉りました。
(婦人病の神、裁縫の神、安産の神、子宝の神、縁結びの神)
ご祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと)
創建者 額田神社

6、なぜ、神社には鳥居があるのですか。鳥居にはどんな意味があるのですか。

6、なぜ、神社には鳥居があるのですか。鳥居にはどんな意味があるのですか。
神社の境内は、神々が鎮まる場所であり神域です。
神域の入り口が鳥居です。いわば、俗界と聖域を分ける表象であります。
鳥居前の手水舎で手を洗い、口をゆすぎ、心身を清めてから鳥居をくぐり参拝するのが正しい作法です。
参拝の仕方:二礼・ニ拍手・一礼

7、なぜ、神社ではすずをならすのですか。

昔から、神様に願い事が届くように、参拝時は、必ず、『すず』をならすことが習慣化されています。

8、ご神木は何のためにあるのですか。

神話的ですが、ご神木は、神霊が宿る木、神域の象徴と言われ、神々がご神木に降臨され御神殿に鎮座されたと伝えられております。
ご神木は、境内の杉の木、真榊、けやき、樫、つばきや萱の木に包まれ神社全体の景観や風格、格調や神社の歴史をも示す重要な役割を担っています。まさに鎮守の森の中核をなすのがご神木です。


9、なぜ、本殿やご神木になわや白い紙がついているのですか。

「なわ」は、注連縄(しめなわ)といいいます。白い紙は、紙垂(しで)といいます。
本殿や拝殿、ご神木には「しめなわ」や、「しで」をつけ神聖・清浄な場所であることを示しています。

10、天水おけは、何のためにあるのですか。

天水桶は、万一の時(雷雨や天災地変による火災)に備え、設置しています。
現在では、めったに使うことはありませんが氏子の方々が奉納されたものであり、神社の歴史を語る上でも、取り省くことはできません。

11、何故、君が代の記念碑があるんですか。

国家「君が代」の歌詞は、神々の願いと相通じており氏子のみなさんが供さんし神社に奉納されました。


君が代は、千代に八千代に さざれ石のいわおとなりて こけのむすまで


12、こま犬について 平成24年2月17日 那珂市指定文化財 右側と左側のこま犬が違います。なぜですか。

狛犬は、邪を退け、神前を守護する意味で、社殿前や参道に設けられています。中国、唐
の時代に日本に伝わりました。一方が口を開け、地方が口を閉じいわゆる阿形、吽形で1対のものが一般的ですが、両方の口をあけている狛犬もあります。


○木製狛犬(鎌倉時代以降) 全高(42㎝/42.2)、全長(43.5㎝/34.7)


○陶製狛犬(室町時代以降) 全高(33.4㎝) 全長(27.5㎝)


13、年に1度のおまつり(小祭礼)は、何のために行われるのですか。

神道では、清く明るく正しく真心もちて 人に接し、お互いに睦(むつ)び和(なご)み親し見合いて学業・生業に勤(いそ)しみ励むことが人の道であり、末長い幸せをつかめると説いています。
この中で、今の社会において、お互いに睦(むつ)び和(なご)み親しみあいて部分が掛けてきていることもあり、年に1度位は、神社の神聖な空気を吸いながら、大人も子供も一緒になって焼きそば・おにぎりをほおばりながら、ゲームを通じ、だんらんする中で少しでも健康で明るい町づくり、そして地域生活のお役にたてればと実施しています。


14、神社に行く手前の参道にある、桜の木は何mくらいあったのですか。

これは山桜で、約30mくらいあったと思います。樹齢推定400年~500年
現在、山桜としては茨城県では西の横綱に番付されています。

15、なぜ、神社のまわりには、杉の木がたくさんうえられているのですか。

すぎの木は、他の木にくらべ、まっすぐに、天高くのびていきます。
人間もすぎの木のように、横道に曲がらず、まっすぐ成長してほしいという願いをこめて杉の木を植えたといわれています。
また、昔は、社殿や鳥居を建て替えるにも、境内の杉の木を利用していました。

16、へびのミイラは、なぜ、神社にあるのですか。

平成12年、淡島神社を建て替えしたときにご本殿に「へび」がミイラとなっていました。
これを現在、淡島神社の本殿に安置しております。

17、山車保管庫の経緯について

17、山車保管庫の経緯について
平成22年2月7日地鎮祭の後、同年4月に完成す
本郷町、上の町の山車で、祭りのたびに、組み立てるのをやめて、保管庫格納。
平成24年10月には、新地町、柄目町の山車保管庫が現在の保管庫の右側に完成し、この時点で山車は4台となりました。
なお、古宿町にも息出し入れ可能な可能な山車が1台保管されています。