茨城の鹿嶋八幡神社(額田神社)の案内


鹿嶋八幡神社 宮司ごあいさつ

鹿嶋八幡神社 宮司ごあいさつ
日頃より、ご厚誼を頂きありがとうございます。

 当神社の開基は大同元酉戌年(806年)と古く、額田城のあった時代から永々と続いております。歴史を紐解いてみますと武甕槌神(タケミカツチ)を仰ぎ、古くは八幡太郎義家 佐竹昌義公が関わり、額田城主 佐竹氏、小野崎氏を始め、氏子の皆様の信仰に支えられてきました。
江戸時代に至っても徳川光圀公、徳川斉昭公の厚い庇護のもとに支えられ、あの明治維新の思想の引き金にもなりました会澤正志斎先生の額田神宮の掲額にもあるように当時の水戸藩にも重きを置かれてまいりました。明治に入って神社名を鹿嶋八幡神社と改名いたしましたが俗称の額田神社として地域の皆様にお世話様に支えられ今日に至っております。今後とも氏子の皆様ともどもよろしくお願い申し上げます。

鹿嶋八幡神社(額田神社)の場所・連絡先

鹿嶋八幡神社(額田神社)の場所・連絡先
元禄7年(1694年)水戸光圀公は、額田の鹿島明神社に八幡社を統合し、額田鹿島八幡宮を合祀建立しました。2年後の元禄9年(1696年)に額田鹿島八幡宮から額田鹿島八幡神社に名称が変更され、同年、社司は白石氏となっています。 以来、現在まで白石が鹿島八幡神社の神職につかえております。

鹿嶋八幡神社(額田神社)の云われ

 鹿嶋八幡神社は、地域住民の氏神様として古くから親しまれ愛されてきました。
鹿嶋神と八幡神の」二大神を奉っているためこの名称が授けられました。
あとで触れますが、地元では古くから額田神社と呼ばれております。

①鹿嶋宮は、西暦八〇六年、五一代平城天皇の時に御祭神:武甕雷男神(たけみかずちのみこと)を奉遷後、後世、佐竹昌義が本殿を造営されました。

②八幡宮の御祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)です。
八幡宮は、康平6年8月 西暦1063年御冷泉天皇の時、源頼義が奥州で前九年の役を平定し帰京の途中、西馬場の地に勧請して戦勝を謝し、永保元年 西暦1081年には源義家が境内や参道を修造しました。

後世、佐竹義直により再建されました。

 江戸時代に入り、慶安元年(1648年)徳川将軍家光公より鹿嶋宮にご朱印地15石、八幡宮には20石が授けられました。
また、元禄7年(1694年)徳川光圀公が八幡宮と鹿嶋宮を合祀し社殿を改築し額田神宮の称を承り、国家安泰・五穀豊穣を祈願参拝されました。
 又、神社の扁額は、水戸藩学者:会澤正志斎の筆で「額田神宮」と記され、明治元年(1868年)6月に奉納されたものです。)
のちに、茨城県より村社として定められ名称も鹿嶋八幡神社と改められ、茨城県の特別神社にも指定されています。


 境内・参道を通し、杉木立の中に、椿、桜、樫、銀杏、榊の木の他、様々な樹木が散在し3月~4月には椿の花が開花、4月は桜が開花し、秋には銀杏の葉がまばゆく輝きます。
平成22年10月には、参道に紅葉と50本の「あすなろ」の苗木が奉納植樹され、参拝客や散歩する人々を楽しませてくれます。

このような社殿、大鳥居・直線380メートルの参道を含めた景観は近隣には珍しく、地元住民の憩いの森、癒しの森として親しまれ、神道文化と歴史の中核的役割を担っております。

神社の主な年間祭祀行事は、1月1日の元旦祭に始まり、2月節分祭、3月祈年祭、4月春の例祭、6月御田植祭、大祓式、11月額田まつり大祭礼(3年に1回に大祭を実施)、氏神祭、秋の例祭、額田まつり小祭礼、新嘗祭、七五三祭、12月大祓式等が斎行されております。

参道:直線約380m
大小末社23社(淡島神社、稲荷神社、別雷皇大神、素鵞神社、駒形神社、金毘羅神社他)
淡島神社:創建正保元年(1644年)安産、裁縫の神、蛇のミイラ(本殿内に安置)
神宝:圀奉納の漆塗り椀、神供器、御神鏡、神輿2社、大祭礼絵巻
屋台保管庫:2棟4町4台(新地町・柄目町・本郷町・上の町)
山桜・樹齢推定600年、茨城県西の横綱・・・・参道沿い中間東側

鹿嶋八幡神社 関連年表

  • 建久元年(1190年)頃 文額森戸の地に遮那寺を造営、一宇の塔と五社を造営。(鹿島社・八幡社関連
    ※建久:鎌倉時代の1190年から1199年まで、後鳥羽(ごとば)天皇、土御門(つちみかど)天皇の代の元号。
  • 建久3年(1192年) 森戸宝光坊へ手紙を出す。(文覚書簡)(鹿社・八幡社関連
  • 建長年間(1245年~1250年)佐竹義繁の次男義直が額田に配置される。この頃、八幡宮が森戸遮那寺より勧請され、蓮蔵院と供に造営される。(八幡社
    ※建長 鎌倉時代の1249年から1256年まで、後深草(ごふかくさ)天皇の代の元号。
  • 永享12年(1446年) 観音寺建立、鹿島大明神造営、森戸遮那寺の鹿島社を勧請。(鹿
    ※永享:室町時代の1429年 から1441年まで、後花園(ごはなぞの)天皇の代の元号。
  • 明応3年(1490年)頃、八幡宮を修造する。蓮蔵院の仕葬順海の発願により大般若経600巻の書写に執りかかる。(大旦那は額田城主三大小野崎善通)(八幡社
    ※明応:室町時代(戦国時代) の1492年から1501年まで、後土御門(ごつちみかど)天皇、後柏原(ごかしわばら)天皇の代の元号。
  • 明応7年(1494年)冬の初めの頃、大般若経600巻を八幡宮に納める。(八幡社
  • 天正14年(1586年)8月 額田城主五代小野崎従通(徳寿軒)が寄進修復造営。(八幡社
    ※天正:安土桃山時代の1573年から1592年まで、正親町(おおぎまち)天皇、後陽成(ごようぜい)天皇の代の元号。
  • 寛文3年(1663年)4月9日 「大明神」の社名額が寛文三年四月九日と記されているから、この時に修復。(鹿
  • 寛文3(1663年)9月19日 八幡宮本殿の社名額が」寛文三年九月一九日と記されていることから、この時に八幡宮が修復されたとされる。(八幡社
    ※寛文:江戸時代の1661年から1673年まで、後西(ごさい)天皇、霊元(れいげん)天皇の代の元号。
  • 慶安元年(1648年)徳川将軍家光公より鹿嶋宮ご朱印地15石、八幡宮には20石が授けられました。(鹿社・八幡社
    ※江戸時代の1648年から1652年まで、後光明(ごこうみょう)天皇の代の元号。
  • 元禄7年(1694年)水戸光圀公 鹿島明神社と八幡社を合祀し、名称を額田鹿島八幡宮とする。(額田鹿嶋八幡宮
    ※元禄:江戸時代の1688年から1704年まで、東山(ひがしやま)天皇の代の元号。
  • 元禄9年(1696年)名称を額田鹿島八幡神社に変更し、社司を白石氏とする。(額田鹿嶋八幡神社
  • 享保元年(1715年)修復、箕川五郎兵衛正蔵、富岡助佐衛門重時が修復に関わる。(額田鹿嶋八幡神社
    ※享保:江戸時代の1716年から1736年まで、中御門(なかみかど)天皇、桜町(さくらまち)天皇の代の元号。
  • 明治元年(1868年)6月 会澤正志斎「額田神宮」扁額を奉納。(額田鹿嶋八幡神社
  • 明治6年、現在の鹿嶋八幡神社に改名された。(鹿嶋八幡神社