神社所蔵品案内


神社所蔵品:御朱印

神社所蔵品:御朱印
江戸時代 慶安元年(1648年)に将軍徳川家光公より、額田鹿嶋宮にご朱印地15石、八幡宮には20石が授けられました。

左の印は、徳川の葵の紋の入った御朱印で今でも神社に大切に保管されています。

神社所蔵品:徳川光圀 奉納 御神供器

神社所蔵品:徳川光圀 奉納 御神供器
神社所蔵品:徳川光圀 奉納 御神供器_2

元禄7年(1694年)に水戸義公(徳川光圀)は、額田の八幡神と鹿島神を奉遷合祀し「鹿島八幡宮」を合祀建立しました。
その時に水戸光圀公から鹿島八幡宮に写真の御神供器拾ケが奉納されました。

以来、昭和47年までの期間(280年近い期間)にわたり、神社の神供器として実際に、毎月の1日、15日、28日の月次祭に使用してきました。

同神供器は、280年近い期間にわたり実際に利用してきたために写真のように自然磨滅が甚だしくなり、昭和47年に新しい神供器に変更し現在神社の宝物として保存しております。

神社所蔵品:徳川光圀 来社時利用食器

徳川光圀公は、額田地域(額田・向山・米崎)を知行していた松平頼元(初代水戸藩主の徳川頼房の四男)と頼貞の親子が額田に陣屋をおいていたことから、水戸と西山荘との往来において額田にも良く訪れていました。光圀公は、元禄7年(1694年)自ら額田にあった鹿島神社と八幡神社を合祀し、鹿島八幡神宮を建立しました。

※元禄9年(1696年)名称改め「額田鹿島八幡神社」、額田村の鎮守となる。社司は、白石氏を置く。


以下の食器は、神社に訪れたおりに光圀公自身が食事に利用したのではないかと言い伝えられている漆塗りの食器です。(現在、調査中)
右は、ご飯用の食器でなないかと考えられているが、大きさとしては現在使用されている丼ぶり碗よりやや大きい、左は、味噌汁用の食器と思われ、現在の丼ぶり碗程の大きさがある。

食器のそとの絵柄には松の枝が描かれ水戸徳川家の葵の紋が描かれている。

【左】 高さ:8cm 口径:14cm   【右】 高さ:11cm 口径:16cm

想像するに、神社建立の折に徳川光圀公によって奉納されたか、又は、水戸と常陸太田の西山荘との往来において、神社に詣で食事をした時に利用したか等が考えられる。
神社所蔵品:徳川光圀 来社時利用食器
神社所蔵品:徳川光圀 来社時利用食器_2

神社所蔵品:会沢正志斎による扁額

神社所蔵品:会沢正志斎による扁額

寛政3年(1791)に「正名論」を著わした水戸学の祖 藤田幽谷(ゆうこく)の弟子、会沢正志斎先生(字は伯民)から額田神社を訪れた折り、光圀の命を重んじて「額田神宮」の扁額を送られた。本額は、現在、拝殿の正面上部に掲げられている。

※会沢正志斎先生
会沢正志斎 1782~1863(天明2~文久3)江戸時代後期の水戸藩士・儒学者。名は安(やすし),字は伯民(はくみん),通称は恒蔵,正志斎は号。10歳のとき藤田幽谷の門に入り,儒学と史学を学び,1799年(寛政11年)彰考館に入り、『大日本史』の編さんにあずかった。1824年(文政7年)大津浜(北茨城市)におこった異人上陸事件に際し筆談役としてイギリス人と接触,危機感を強め,その翌年『新論』を著した。これは幕末尊王攘夷運動に大きな影響を与えた著作として知られている。藩主徳川斉昭公が推進した天保の藩政改革には藤田東湖らとともに尽力,郡奉行・御用調役・彰考館総裁を歴任。また1840年(天保11)には藩校弘道館の初代教授頭取(総裁)となったが,1844年(弘化1)の斉昭の失脚に際し罰せられて職を退いた。のち弘道館教授に復している。安政年間(1854~1860年)の尊攘派の分裂では鎮派に属して活躍した。
※一口メモ 扁額について
扁額(へんがく)は、建物の内外や門・鳥居などの高い位置に掲出される額(がく)、看板であり、書かれている文字はその建物や寺社名であることが多いが、建物にかける創立者の思いなどを記すことがある。扁額は神社、寺院、城門、茶室などの伝統建築のみでなく、学校、体育館、トンネルなどの近代建築においても掲げられる。特に神社に掲げられている額を「神額」、寺社に掲げられている額を「寺額」という。扁額の文字は著名人が揮毫することがあり、扁額そのものが書跡としての文化財の扱いを受けることがある。扁額は奉納したものが掲げられることがあり、特に区別して奉納額ということもあり、本会沢正志斎や次の元内閣総理大臣の田中義一の扁額は、奉納額である。

神社所蔵品:第26代内閣総理大臣 田中 義一による扁額

神社所蔵品:第26代内閣総理大臣 田中 義一による扁額
右の社品は、第26代内閣総理大臣であった田中 義一による扁額である。
  • 田中 義一(たなか ぎいち、1864年7月25日(元治元年6月22日) - 1929年(昭和4年)9月29日)
  • 出生地 長門国阿武郡萩(現 山口県萩市)
  • 略歴:日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。勲等は勲一等。功級は功三級。爵位は男爵。
    陸軍大臣、貴族院議員、内閣総理大臣(第26代)、外務大臣(第42代)、内務大臣(第45代)、拓務大臣(初代)などを歴任した。

神社所蔵品:瓦製狛犬 (那珂市指定文化財)

神社所蔵品:瓦製狛犬 (那珂市指定文化財)
  • 瓦製狛犬阿吽形(1対 阿形欠)

     

  • 法量(単位:センチメートル)
    吽形 全高 33.4体長 27.5

     

  • 形状
    吽形 頭を立て前脚・臂(ひじ)を張った山犬型の風があり背負う面上部を向いている。 耳は低く目は開き鬣(たてがみ)は単純模様である、歯牙の一部を覗かせている。坐した全体の姿はシンプルでスマートである。右前脚肢(きゃくし)を欠いている。

     

  • 材質・技量
    陶製(瓦製)素焼
神社所蔵品:瓦製狛犬 (那珂市指定文化財)_2
  • 制作年代
    室町時代鹿嶋社が建てられた永享12年(1440年)以降と思われる。瓦色をしているが、元は彩色が施されていたと思われる。
    山犬型狛犬の例は、名古屋伊勝八幡社の陶製狛犬一対[制作年として応永25年(1418年)の墨署名がある]があり、現在はこれを山犬型狛犬の基準としている。

     

  • 由来
    元は一対であったと思われる。鹿嶋神社が創建された本殿前に安置されていたと考えられる。

神社所蔵品:木造狛犬 (那珂市指定文化財)

神社所蔵品:木造狛犬 (那珂市指定文化財)

  • 法量(単位:センチメートル)
    阿形 全高 42.0 体長 43.5
    吽形 全高 42.2体長 34.7

  • 形状
    ○阿形 頭を立て正面を向いている。鬣(たてがみ)は、単純模様で、耳は小さい。眼部分は大きく、開口、歯牙、舌頭部全体はシンプルである。胸部は良多寡で前脚肢は揃えて太く短い。蹲踞(そんきょ)した全体の姿は重量感がある。
    ○吽形 頭を立て正面を向いている。頭部全体はシンプルであるが、角を持ち、口を閉じているが歯牙を一部出している。鼻口部および胸部の矧(は)ぎ部分は欠損している。全体に重量感がある。

神社所蔵品:木造狛犬 (那珂市指定文化財)_2

  • 材質・技量
    基本材料は、ヒノキ材の寄木造。頭部・全脚部と胴材の2枚製である。 吽形の鼻先・胸を別材で矧(は)ぎ、各矧ぎ目はは鎹(かすがい)止めである。 現状は。白木の彫像のように見えるが、わずかに顔料の残りが見られる。当初は表面にニカワで布を貼り付け、その上に胡粉を塗った彩色仕上げであったと思われる。

  • 制作年代
      形状から考えて八幡社が造立された建長年間(1249年から1255年)以降の鎌倉時代と思われる。

  • 由来
    八幡社が創建された建長年間以降で、社殿前に安置されていたと考えられる。



絵

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